決して諦めない。いつでも打席に立てるよう準備する。

11月15日に24歳の誕生日を迎えました。干支2周の大きな節目なので、12年間を振り返ってみて、今の僕の支えとなっている体験を語ります。昔語り、初のエッセイにチャレンジ。長いですが、よろしくお願いします。

 

試合に出られなかった悔しさが原点

高校時代、僕は野球をやっていました。小学校2年から始めた野球ですが、一番本気でコミットメントしたのは高校時代でした。

 

入学した年のシーズン、僕は試合に出られませんでした。実力不足、アピール不足、ケガなど原因はさまざまだと思いますが、練習試合の1イニングすらも試合に出られませんでした。

 

その悔しさは、今でも覚えています。12月〜2月は規定で対外試合が禁止されているので、実質最終戦は11月末。シーズンラストゲームをベンチで終え、家に帰って枕を濡らした記憶がハッキリとあります。

 

僕は、自主練習をはじめました。試合に出られなかった悔しさを晴らすため、来シーズンに絶対に試合に出て活躍するため、毎朝練習をしました。

 

僕の高校では、12月〜2月のオフシーズン、公式の朝練はありませんので、朝は個人練習に最適な時間になりました。

 

自主練習は、仲間がいたから続けられたと思う

しばらく練習を続けていると、同級生の1人が加わり、2人で練習するようになりました。

 

お互いに、練習のパートナーが出来たのは練習効率の面からも、精神的な面からも大きかったと思います。1人だったら、甘えが出てサボっるときもあったでしょう。仲間がいたからこそ、お互いに刺激し合い、続けられたと思います。

 

かつての僕は、自分の力で、ひとりで戦うのを美徳としていました。しかし、毎朝の自主練習を通じて、仲間と一緒に努力する大切さを学びました。

 

3月を迎え、野球シーズンの到来

3月を迎え、対外試合が解禁されました。高校野球シーズンの到来です。

 

早速の練習試合で、なんと代打で出場させてもらえました。結果は内野フライで悔しい思いをしましたが、冬の間の自主練習が1つの成果として実った嬉しさから、1塁まで全力疾走した記憶があります。

 

また、3月からは火,水,木で公式の朝練が始まりました。しかし月,金は空いているので、冬から続けている自主練習を、仲間と一緒に続けました。次の目標はレギュラー、スタメン出場です。

 

3年生の引退に涙し、世代交代でぶち当たる壁

2年生として迎えた夏の大会。レギュラーは獲得できませんでしたが、3塁ランナーコーチとしてベンチ入りしました。自己弁護のために言っておきますが、3塁ランナーコーチは得点にからむ、非常に重要なポジションです!

 

3年生はホントに強かったです。練習試合ではほぼ負けなし。チームはいいムードのまま、2回戦でシード校とぶつかりました。

 

試合は投手戦。相手投手は翌年、ドラフトで指名を受けた好投手(当時は2年生)でしたが、対等に渡り合うピッチングで、緊迫した展開になりました。

 

しかし、延長10回裏にサヨナラ打を浴びて、1-2で敗れてしまいました。

 

3年生は引退です。ロッカールームで悔し涙を流しました。なぜか、3年生より2年生の僕らのほうが泣いていました。「打倒私立」で立ち上がり、あと一歩のところで負けてしまったのと、力になれなかった自分たちに悔しさが溢れてきたからです。

 

先輩たちとは真逆。勝てない新チーム。

そして、いよいよ僕らが最高学年になる新チームがスタートします。が、夏の間は練習試合も秋季大会も全然勝てませんでした。

 

ポジションも定まらず、くるくる、くるくるとスタメンが変わる日々です。が、あるときから、チームの歯車が噛み合うようになりました。

 

それぞれの役割とマッチする打順やポジションに近づいたのでしょう。

 

そして僕にとっては、2番打者として、新たな野球人生の始まりです。

 

僕の性格とマッチしたのでしょうか。2番に指名されてから、調子が出始めます。朝の自主練習でも、試合での役割をイメージできるようになったので、より効果的になったと思います。

 

春に結果が出始め、チームに勢いが出てきたころにケガ

新チームは決して強くはありませんでした。でも、春はリーグ戦を突破し、県大会のトーナメントに出場しました。初戦で敗れはしましたが、みんな、冬を越えてからの手応えを感じていました。

 

もちろん、この冬も自主練は続けました。1年目で味わった、あの悔しさは味わいたくありませんから。ケガはしましたが、無理の無い範囲で続けていました。努力の成果は出ています。

 

そんな最中、また僕にケガが襲いました。肉離れです。あれって、スゴく痛いんですよね。思った以上に動けなくなってしまいます。

 

これから夏の大会に向けてというタイミングでのケガなので、とても苦しみました。練習したくても練習ができないのです。

 

しかしながら、この先に、さらに苦しい局面が待ち伏せているとは考えもしませんでした。

 

開会式直前のある日の練習試合

2007年の夏、高校球児として最期の夏を迎えました。直前の肉離れからも復帰し、練習をしていました。

 

走塁練習中、太ももに違和感を覚えました。嫌な予感を感じながらも、翌日の練習試合に備えました。

 

肉離れを起こして走れなくなった

朝も太ももに感じた違和感は消えていませんでした。むしろ、痛みとなって現れていました。

 

ケガを隠して出場しようとした、ウォーミングアップのときです。

 

「痛くて、走れない。」

 

今の状態で出場しても迷惑をかけるだけなので、僕は監督に欠場を希望しました。

 

最期の大会直前にケガをし、絶望の日々を迎えた

僕は絶望しました。開会式は翌日です。夏の大会初戦まで、2週間もありません。

 

苦しかったです。今まで皆勤賞だったけれども、精神的なダメージから体調を崩して学校を欠席したこともありました。

 

諦めても仕方がない。頑張っている仲間を心配させたくない。

どんなに悔やんでも、悲しんでも、ケガが治るわけではありません。また、僕がネガティブになれば、チームの雰囲気も悪くなります。

 

一秒でも早く治すため、僕は治療効果のあることを何でもやりました。

 

最も効果があったのは、そして、僕を絶望の淵から救ってくれたのは、親の紹介で案内された整骨院です。休診日を除きすべて通いました。

 

「アイシング」「姿勢をよくする」「しっかり歩く」を毎日やりました。

 

アイシングは授業中にもして、保健室の冷凍庫の氷は、ほとんど僕が消費していました。当時氷を必要としていた人、ごめんなさい。

 

開幕戦は間に合いませんでしたが、2回戦に間に合わせることができました。

 

ですが、当然、スタメンではありません。ケガから復帰したばかりの僕が出られるはずはありません。

 

が、出る気満々だったので、初回からベンチ前で素振りをして、いつでも出られるように準備をしていました。

 

15対0でコールド負け目前。おまけにノーヒッター…

しかし、試合が始まると、打者は抑えこまれ、ピッチャーは打ち込まれます。

 

気が付けば5回コールドが成立する10点差以上をつけられ、ベンチから観ていても、みんな地に足がつかない様子なのがハッキリと分かりました。

 

おまけに、チームは無安打。四死球を1つ選んだだけ。つまり、コールド負けだけでなく、ノーヒッターの参考記録のおまけがつくという、絶望的な局面に追い込まれたのです。

 

そして、6点取らなければゲームセットとなる5回を迎えます。

 

そして、僕の名前が呼ばれました。

 

ケガから復帰し、最初で最期の打席

ネクストバッターズサークルでは、脚がブルブルと震えていました。プレッシャーで、怖くて、震えていました。

 

正直、相手投手から1回で6点をとるのは苦しいと思っていました。一矢報いるには、まず1本ヒットを出す。それしかないと思っていました。

 

1アウトランナー無しの場面。僕の名前がアナウンスされました。

 

応援歌が鳴り響きます。

 

初球は、ストレート。ボールだと思ったのですが、ストライクの判定。たしかに、いいボールを投げるなと思いました。

 

打席に入っても、まだ脚の震えがおさまりません。甲子園ではありませんが、甲子園には魔物がいるという噂が、何となくわかった気がしました。

 

2球目。タテのスライダーがベース前でワンバウンドしました。

 

この瞬間から記憶が曖昧になります。応援歌も聞こえなくなりました。

 

「これはいける!三振はまずない!」

 

と確信したからです。

 

なぜなら、初回に打ち取られてベンチに返って来たチームメイトの1人が、「スライダーは曲が早いから見切れるぞ!」と言っていたのと、つながったからです。

 

そして、集中力が何倍にも増して、ゾーンに入りました。超集中モードと思ってもらえれば大丈夫です。なので、いい意味で別世界にいたので、記憶が曖昧になっているのです。

 

3球目。初球と同じようなストレートがきました。打っても凡打にしかならないと思ったので見送りました。やはり、ストライク。1ボール-2ストライクです。

 

4球目。高めのスライダー。ストライクだったので、カットしてファールにしました。

 

なんだか分かりませんが、7:3の割合で、ストレートがくる気がしました。ただの直感です。後付で理由はありますが、その時はゾーンに入っていたので、なぜだかは覚えていません。

 

5球目。真ん中やや低めに、「ストレート」が来ました。僕は、待っていました!と振り抜きました…

 

ピッチャーの横を抜けていき、ボールはセンター前に転がる

チーム初安打。相手のノーヒッターをかき消すヒットになりました。「抜けろ〜!」と叫びながら走っていた記憶があります。ヒットを打つことが出来ました。

 

しかし結果は15対0での敗戦。高校球児としての、最後の夏が終わりました。

 

決して諦めない。いつでも打席に立てるよう準備する。

最近になって、この体験を話す機会が2度ほどありました。昔は照れくさくて、話そうともしなかった話題ですが、振り返ってみると僕自身の人間を表す出来事だったと思えるからです。

 

最後のヒットは一生忘れません。そして、それにつながった経験すべても忘れません。悔しさから這い上がり、最後に壁にぶち当たったけれども結果を出す。ここには3つの教訓があったのです。

 

1年目に試合に出られなかった悔しさから、努力できた

1年目で味わった悔しさが、最後の結果につながりました。あの時感じた悔しさを忘れなかったから、最後の最後まで諦めずに努力ができたからです。仲間の存在も大きかったです。一緒に頑張れる仲間は絶対に大切です。

 

最後まで、最後まで諦めない精神力

大会直前のケガという絶望から這い上がりました。これは間違いなく、仲間の存在が大きかったです。あいつらに申し訳ない。諦めてたまるか。仲間がいたからこそ、諦めずに戦えたと確信しています。

 

いつでも打席に立てるように準備すること

図々しくも、僕は初回から素振りをしてアピールしていました。そして、いつでも出られるように準備していました。最後にヒットが打てたのは、いつでも出られるようにと、準備があったからです。

 

血肉となった経験から、社会へ飛び込む

12年間を振り返って、一番大きな経験は高校野球だったと言い切れます。僕の血となり肉となりました。

 

しかし、まだまだこの程度では社会に価値を提供できるとは思いません。丸腰で飛び込むようなものです。でも、僕の経験をベースに頑張ることはできます。

 

「決して諦めない。いつでも打席に立てるよう準備する。」僕の行動規範に従って、社会に飛び込む、24歳からの僕。やるしかありません。

 

サムネイルは高校時代とは無関係です!

サムネイル画像は、去年の写真です。高校時代とは関係なく、地元の仲間と組んだ草野球チームで、全国優勝(笑)したときの写真です。全国優勝に、(笑)がつく理由は察してください。―ミリオンズのHP

 

僕を絶望から救ってくれた、整骨院!

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ステマじゃなくて、ホントに感謝しています。ケガして絶望しているならば、コチラでの治療をオススメします。絶対に救ってくれます。