【聲の形】聴覚障害への理解はわからないけど、現実をちゃんと知るべきでしょ。

(アイキャッチ画像:ブラックジャックによろしく【佐藤秀峰】漫画 on Web

少年マガジンで連載中の【聲の形】は、以前、読み切りで登場したときに話題になりました。どのくらいかっていうと、編集長がTwitterで宣伝しまくるくらいです。実際、ネット上では賛否を生み、聴覚障害に対する議論がたくさん生まれました。

 

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物語の導入部分(読み切り作品)のあらすじを簡単に紹介します。

 

小学6年生の石田将也のクラスに、耳が聞こえない女の子、西宮硝子が転入してきます。耳が聴こえないことをからかい、石田を中心にクラス全体で西宮をイジメます。

西宮と他の生徒とは、筆談でのコミュニケーションしかできません。だから、「わっ!」と大きな声でいったり、本人に聞こえないからと、周りが聞こえるように悪口をいったりしていました。

が、イジメが学校で取りあげられます。イジメによる補聴器の紛失・故障で、100万円を超える損害が出たからです。その瞬間、主犯格だった石田は、クラス中の標的に変わりました。みんなが、先生も含め、石田を犯人として仕立てあげたのです。その日の境に、石田もクラスからいじめを受けるようになりました。

 

夢や希望を描くマンガが多い中で、これだけのリアリティは強烈に心に刺さります。僕が当事者として存在したら、どういう行動を取るのか。僕の中にある正義感は、現実世界で発揮できるのか。自分の弱さに対する恐怖もわいてきます。

 

【聲の形】が果たす役割とは何か。

「障害者理解って大事ですよね〜。理解があれば、イジメはなくなるんじゃない?」と、思う人はいるかもしれません。が、ホントにそうでしょうか。障害者理解って、どこまで行けば理解したといえるのかわからない。だから、重要なのかも分かりません。

 

また、【聲の形】がそのまま障害者理解へつながるのかも疑問です。あくまでも仮想世界を描いたマンガであり、現実と乖離しているからです。
 

聴覚障害をもった女性が、【聲の形】を読んでの感想をツイートしていました。

 

 

【聲の形】はイジメがちゃんと見えました。ハッキリとした形となって存在していたのです。だから、僕たちも心の痛みを想像できるし、当事者意識をもって考えるキッカケがありました。でも、見た目では分からない感情や苦しみこそが、もっとも『障害者理解』につながるのではないでしょうか。

 

障害者理解へは疑問。でも、現実を知ろうというキッカケになる。

決してムダではない。だけれども、分かったつもりになってはいけません。【聲の形】は、僕たちの社会に一石を投じただけなのです。どうするべきか、どうあるべきか、ではありません。「当事者として、あなたは何をしますか?」を問いかけたのです。

 

 

普段生活していて、耳が聴こえない人と接する機会には差があります。正直、耳が聴こえない人と接したのは、1回くらいです。普段接することはないけど、いつか出会うかもね。また、いつか自分の耳が聞こえなくなるかもね。そんな立場の当事者として行動を起こすべきだと考えます。

 

耳が聴こえない人が、実際にいるんだって認知すること。

僕が考える、当事者としての一歩目。それは、「認知」です。日本には、1,000人に3人の割合で聴覚に障害を持った人がいるそうです。渋谷のスクランブル交差点では、1回に3,000人が渡ると言われています。なので統計的には、その中の3人が聴覚障害者の可能性があるということです。

 

そう思うと、出会っている可能性は高いですよね。僕たちが、ただ「認知」していないだけのようです。だから、まずは耳が聴こえない人がいることは、日常だったのです。同じクラスにいて、同じ職場ではたらくこと。それは、当然のことだったのです。

 

なんか、「そんなこと言っているお前が、聴覚障害者を差別してるんじゃ!」って叱られそうですね。まぁ、いいです。実際、僕の周りには耳が全く聞こえない人がいないので、明確な認知ができないので。

 

僕が伝えたいことは、現実から目を背けたり、自分は関係ないと無視するのは、違うってことです。それをここでは、「認知」と表現したまでのことです。言い訳を挟むところ、僕の当事者性の薄っぺらさが出てしまいましたね。

 

障害の現実と向き合う。

僕たちは、厳しい現実を隠されている気がします。誰もが、障害をもつ可能性があるのに、障害者と健常者とをハッキリ分けて、学校教育を行っているからです。指導方法で分けているのかもしれませんが、交流する機会すらありません。なんとなく、意図的に遠ざけようとしている気がします。

 

だから、障害者と向き合うとビックリしてしまうのです。今まで付き合ってきた人とは違うという、違和感が芽生えてしまうのです。だから、法律で「障害者を雇用せよ」と言われないとやらないのです。よく知らないから、わからないから、距離をおいてしまうのです。

 

せっかく同じ地球に、同じ時代に生まれたのだから、お互いに幸せを目指して生きていくべきなのではないでしょうか。障害の話を広げると、壮大なテーマになりそうです。まだまだ、僕も知らないことがたくさんあるからでしょう。

 

最後に、乙武さんの五体不満足にあったフレーズと、ブラックジャックによろしくにあった一節を紹介して終わりにします。

 

障害は不便ではあるが、不幸ではない。
五体不満足 完全版 【講談社英語文庫】

目が見えなければ障害ですか……?
腕や脚がなければ障害ですか……?
100mを10秒で走れれば障害ですか……?
音楽の才能があることを障害と言いますか……?

障害という言葉でしか認識できないから障害にしかならない
それは個性だ
ブラックジャックによろしく 4