元プロ野球の桑田氏が語る、「挫折」を乗り越えた「努力」について

(画像:テクマトリックス CRM FORUM 2014

本日は、元プロ野球選手の桑田真澄さんの基調講演を聴きに行きました。PL学園時代は甲子園で20勝、読売ジャイアンツのエースとして活躍していたのは、記憶に新しいです。そんな桑田さんも、挫折、挫折、挫折が繰り返しの人生だったと語っています。彼はどのように挫折を乗り越え、生かしていったのでしょうか。聴講メモを元に、明らかにしていきます。

人生哲学のキーワードは「裏と表の両立」

桑田さんの切り口は野球です。人生哲学についても、野球と絡めて語られていました。それは、「裏と表の両立」です。物事には必ず、2面あって、片方だけでは成り立たちません。良いことも、悪いことも、楽しいことも、辛いことも、どちらも手にして初めて、事を成せるのです。

野球から学んだ人生哲学の1つに、表と裏の両立があります。2歳から野球をやっているのですが、勝ちたい、優勝したい、どうしたらいいのかと考えていました。あるとき、気付いたんです。野球は、攻撃と守備のどちらも両立しない限り勝利できない。ピッチャーが0点におさえても、見方が0点だったら引き分けです。20点とっても、それ以上とられたら負けてしまうのです。野球は、表と裏を両立させなければ勝利することができません。
参考:基調講演

桑田さんは、野球一筋でした。が、外から見える姿の話です。高校時代は、勉強も一生懸命やっていました。なぜなら、学生の本分は学問だからです。桑田さんにとって、勉強と野球は裏と表の関係にありました。

だから、どちらも一生懸命やったのです。まずは、このことをアタマに入れておきましょう。僕も高校時代、「野球一筋!!」でやった方がいいじゃん!って思っていた人でした。しかし、受験が近くなる2年生の冬に一念発起し、勉強を頑張り始める。すると、野球もうまく行くようになりました。なので、桑田さんの話には納得できます。

プロ野球選手、一言で言えば、結果がすべてです。つまり、超競争社会。だからこそ僕は、「プロセス」と「結果」の両立を頭に入れ、23年間やってきました。どのように練習し、どのように戦略を立てるかを考えるのです。結果も大事ですが、プロセスも大切にしました。

ビジネスにおいても同様ではないでしょうか。立派なビジョンや戦略は必要です。しかし、収益を挙げなければ、お金を稼がなければ、ビジネス戦略は生きないのです。

プロ野球選手として結果を残してきた桑田さんだからでしょうか。とても説得力のあるお話です。結果がすべてだからこそ、プロセスを追求する。とすることで、裏と表の両立を図っているわけです。

2度の挫折が桑田氏の人生を築いた。

輝かしい功績を残した桑田さんですが、冒頭に述べたように、挫折の連続だったそうです。しかし、挫折経験が桑田さんを次のステップに運んだのでした。

小学校時代は勉強をあきらめ、野球も1度はあきらめた。

初めて挫折したのは、小学校1年生のときです。4月1日生まれなので、同級生の中で1番年下なんですね。46歳と45歳で何が違うかというとほとんど変わらない。でも、小さい頃はだいぶ違います。まりのみんなは体が大きく、勉強に対しても理解力がありました。

しかし僕は、勉強を頑張ろうとしたけれども、さっぱりわからなかった。テストもほとんど0点で、挫折をしてしまいました。さらに大阪は口が悪くて、みんなからアホや、アホや、といわれました(笑)。子供の頃は勉強を諦めてしまったのです。

僕の夢はプロ野球選手です。野球一本でいいのです。勉強は頑張ろうとしてもわからないのですから。

そんな時、地元の野球チームへの入部をお父さんにお願いします。そして、なんと、小学校3年生にして6年生のチームに加わることになりました。しかし、喜びもつかの間。一番年下の桑田さんは、辛い思いをしてしまいます。

ところが、2年生の終わり頃くらいになって、チーム入りたいとおやじに伝えたんです。Aチーム6年生、Bチーム5年生、Cチーム4年生以下となっていたが、4月から3年生になる僕が、監督にはAチームに行けと言われたのです。

野球は縦社会です。雑用は全て自分に回ってきました。でも、それでも楽しかった。

しかし、監督がときどき休んでしまうことがありました。大人がいなくなるわけです。すると、イジメが起きるんです。すごいイジメを受けました。ここでは話せないくらいです。僕は勉強できない超落ちこぼれですから、野球しかありません。だから親にも言わず、歯を食いしばりました。

でも、耐え切れず、挫折して、野球をやめました。

中学生になり、「努力」と「運の良さ」によって変われた。

聴講者全員、固まってしまいました。桑田さんにそんな過去があったなんて。4月1日生まれで笑いを取っていたときは和やかだったムードが、一転して、暗くなりかけました。

が、中学生になって、桑田さんにも転機がおとずれました。お母さんが、「目標を立てたら?」と質問してきたのです。桑田さんは考え、答えました。「おれも、PL学園に行きたいわ。そして大学は早稲田に行きたい。そして、プロ野球選手になりたい。」と。

それに対して、「じゃああんたは、この目標をどうしたら達成できると思う?」と尋ねれた桑田さんは、「いやぁ…頑張るしかないな。」と思ったそうです。

このエピソードについて、桑田さんはしきりに、「運が良かった」と語っています。それは、母親の一言で目標を立て、頑張るしかないと決意して、実行に移すことができたからだといいます。

6年間全然勉強しなかったので、クラスの秀才や女の子や、先生に聞きまわりました。どうすればいいのか考え、実行に移すことが楽しかったのです。最初の順位が一番下だったので、そこからどんどんゴボウ抜き。それが楽しかったです。

でも、もっと楽しかったこと。それは、「努力」です。

何か方法を探して、それを実行するのが、たまらなく楽しかったのです。最初は順位が上がるという小さな成功体験をつみかさねることで、自信をつけました。努力の楽しさを実感できたのです。

僕が最初に努力を学んだのは、野球ではなく、勉強でした。もちろん、野球選手なので、勉強で学んだ努力は野球に生かしました。

オレはやるぞと決意したから、実行に移したのです。僕は運が良かった。時間がなかったからこそ、短時間集中型の努力を自然と身につけることができたからです。

勉強は授業中に集中しました。休み時間も頑張りました。家に帰ってからは、一時間だけ復習しました。塾に行くお金もなく、時間がなかったからこそ、コツコツと努力する型を身につけられたのです。

ここでも、運が良かったと伝えています。努力できる環境は、運が良かったからあたのだそうです。こうして小学校時代の辛い挫折を乗り越え、桑田さんは中学の野球界でトップクラスに昇りつめます。そして、PL学園から推薦を受け、入学を決めました。が、同僚、清原和博さんとの出会いから、桑田さんは挫折を味わうことになります。

清原氏との出会いに「コンプレックス」を感じた。

中学3年時には、桑田さんの前には敵なしでした。打球が外野まで飛びません。しかし、清原さんとの出会いは、そんな桑田さんの自信を軽々と打ち崩したのです。

清原くんとは入学前に会うことになったのですが、挨拶で握手したら、目線は彼のベルトだった。人生で初めて大きな男と会ったのです。

最初に練習をすることになりました。まずはバッティング練習をしました。清原くんの初球、聞いたことのない音を立てて、ボールを飛ばします。10本中8本場外ホームラン。信じられません。

次は守備練習。バツグンのグラブさばきでした。次はピッチング。彼は、エースで4番だったのです。190センチ近い身長からのストレートはプロ野球選手クラスだと思いました。

そして、僕は2度目の挫折をしました。なにかというと、「コンプレックス」です。全国にはこんなにでかい人がいる。でも、自分は小さい。

パワーも技術も、清原さんのほうがズバ抜けていたそうです。しかし、中学時代は敵なしだった桑田さんも、清原さんを前に自信を失ってしまいました。さらに入学後も、辛い寮生活が始まります。即戦力の清原さんに対して、桑田さんは全く通用しなかったのです。

高校入学後、清原が活躍する一方で、桑田は通用しなかった。寮生活も辛かった。辛すぎて、母親に泣きつき、電話をかけました。そんな僕に母親は、一生懸命説得してくれました。

「あなたが目標にしたPL学園には入れたんだから、3年間補欠でもいいじゃない。清原くんみたいに大きくなるのはムリなんだから。」

僕の耳にそんな言葉は届きません。僕は、連れて帰ってほしいと頼みました。もしそのとき、母親が連れ帰ってくれていたら、今の僕はなかったでしょう。

しかし母親は僕に、「絶対に諦めちゃダメよ」と言いました。
え?この状況で何を言っているの?と思いました。「どうなるのか誰にもわからないのよ。だからこそ、絶対に諦めちゃダメ。」と、言いました。

僕は運が良かったのです。その母親の一言で、「もう1回頑張ろう!」と決意できたのですから。

「裏と表の努力」によって栄光をつかんだ。

中学時代から続けていた努力は、高校に入ってからもコツコツと続けていました。しかし、これ以上は体に限界がきてしまう。そこで考えたのが、裏の努力です。野球一筋の桑田さんにとっては、表の努力は野球に関することです。一方裏の努力とは、野球に全く関係のないことです。

寮生活なので、トイレ掃除を始めました。1日1個。次の日は、隣の便器を掃除しました。そして、玄関の靴をそろえ、大きな声で挨拶することも頑張りました。もう崖っぷちなので、なんでもやってやろうという気持です。

1ヶ月、2ヶ月たってもなんにも変わりませんでした。でも、3ヶ月立って、チャンスがやってきました。試合に出るチャンスをもらったのです。

もちろん、投げるボールは何1つ変わっていません。でも、結果は9回すべてに0が並んだのです。人間て不思議です。結果がいいと、自信がつきます。気が付いたら、甲子園のマウンドに立っていました。そのときはもう、オレのボールが打てるなら打ってみろと、変わっていました。

なぜ、僕は甲子園までいけたのでしょうか。不思議なんですが、打たれるけれども、野手の正面にいき、アウトになるのです。相手は3年生。絶対に打てないのだけど、自分の打席になると、ど真ん中ばっかり来るのです。

裏の努力は、目には見えないけれどもすごいパワーをもっているんだなと思いました。甲子園から帰っていろいろと分析してみました。その結果、裏の努力は運や円やツキ、そして気付きをくれる。

背も低いし、何1つズバ抜けたものはない。ただ僕は、運が良かった。

同じ時代に、いろんな選手がいて、同じ高校に、清原くんがいて、だからこそ僕は活躍できた。運が良かったのです。

人生を振り返ってみると、どんな学校に行き、どんな先生に学び、どんな企業に就職し、どんな上司や後輩がいたのか。これらが大切になります。人生において運と縁とツキ、気付きが大事だなと思いました。

表の努力だけでは通用しないと思った桑田さんは、裏の努力を徹底しました。物事には2面性あって、片面だけではうまくいかないからです。それをまさに、体現したのが桑田さんの野球人生でした。

プロ野球という目標があると、野球以外のものが邪魔に見えてしまいます。しかし、野球に関係ないところを一生懸命頑張ることで、チャンスが与えられるのです。もしかしたら、監督は桑田さんが掃除をする姿を見ていたのかもしれません。誰かが監督に告げ口をしたのかもしれません。

なにはどうあれ、裏の努力によって、ドン底から這い上がることができたのは事実です。関係ないことも真剣に取り組むことで、運や縁、ツキや気付きが得られるのです。

関係ないからといって、見捨てれば運も逃げる。

公演中、桑田さんは「運が良かった」と何度も言っていました。僕は、「運が良かったと言える」ことが大切なんじゃないかと思います。裏の努力によって、精神が磨かれたのではないでしょうか。

好きなことだけに集中していても、運が遠のいてしまうことがあります。嫌なことも、一生懸命やってみることで、そこに明るい光が差し込むことがあります。僕たちは、裏と表の両立によって事を成せるからです。

桑田さんの学びを生かし、物事を両面で捉え、努力を重ねていきたいと思います。